私と競馬

事実誤認、記憶違いとかは許してください。

自分が初めて競馬を見たのは(多分)ネーハイシーザーが勝った天皇賞(秋)。その時、父親に何も分からず適当に数字を選ばされたことだけが記憶に残っています。そんな馬券が当たるわけもなく、外れたわけですが、当たった外れた何が勝ったのかというより、レース後に歩様のおかしくなっているビワハヤヒデの姿が印象に残っています。

当時はあまり記憶と結びついていなくて今思い出せる話としては、自分はビワハヤヒデという馬の名前だけは知っていたんですね。何故かというとビワハヤヒデが4歳(旧表記)の頃に出たゲームにサラブレッドブリーダーっていうのがあって、父親からそれを買い与えられた自分は、そのおかげで情報だけは刷り込まれていたのでビワハヤヒデは知っていました。確かゲーム中には出ていないんですけど、パシフィカスシャルードもゲーム中にいるおかげで配合だけは再現できるとか何とかで。攻略本にそんなようなことが書いてあったような……(うろ覚え)

その次に自分が馬券を買ったのは(多分)96年の有馬記念。父親がスポーツ新聞を持ってきて「1000円分好きな馬券を買ってやる」みたいなことを言ったのでわけも分からず馬柱を見ながら選んだ覚えがあります。その当時、父親が馬券を買いに行こうとしていた三条競馬(現在は廃止)では500円単位でしか買えないから2点しか買えなかったんですけど、普通はそれでも2点買うところですよね。やっぱり当てたいですし。
しかし、当時の自分は何をトチ狂ったのか、「ロイヤルタッチホクトベガ馬連1点」を父親に頼みました。なぜこの1点にしたかは今ではとても思い出せませんが、ロイヤルタッチという名前が気になったのと、この組み合わせだと200倍以上ついて当たれば20万以上になるというのがあったと覚えています。博打でこんな風に考えるときは当たらないと気づくのにはそれから何年もかかるわけですけどね。
テレビではスーパー競馬のメインがまだ斉藤陽子さんの頃で、当時JRAのCMに出ていた鶴田真由さんがゲストに出ていて、井崎センセイが「ロイヤルタッチには”ツ・ル・タ”という3文字が入っているんですよエヘヘヘヘヘ」みたいなことを言ってました。

レースは自分が全く気にもしていなかったサクラローレルが勝ち、ロイヤルタッチは4着、ホクトベガは9着でした。その後、父親が持ってきたスポーツ新聞を読んでみると「今年は寅さんを演じていた渥美清さんが亡くなった。寅さんの妹といえば”サクラ”」って書いてあって「スゲー」と思いました。今にしても思うとただのタカモト式なんでしょうけど。

それから、またしばらく年月を重ね、自分が初めて馬券を当てたときの話。1999年です。自分は今でも98年クラシック世代が大好きなんですけど、その世代というかスペシャルウィークなんですけど、スペシャルウィーク天皇賞春を勝ったその2日後ぐらいに、新潟県競馬(これも今は廃止。さびしい話だなぁ)にそのスペシャルウィークに乗っていた武豊騎手が来たんですね。生で見られる機会なんてあまりないんじゃないかと思ったのか思わなかったのかは知らないですけど、それを家族で見に行こうという話になったので行ったんですよ、新潟競馬場に。
競馬場内で父親の買った競馬新聞なんかを見ると、すごかったですね。「武豊が新潟に」みたいなデカデカとした見出しにも驚きましたし、乗っている馬が全部◎ばっかりついてる大本命ばっかりで。馬柱を見て予想するんですけど、近走の成績とかを見るとどうしても武豊騎乗の馬を軸にせざるを得ないようにしか思えなかったのを覚えています。まぁ、そのおかげで「武豊から適当に3点ぐらいに流したら当たるだろ」と思った馬券が当たっちゃったわけですけど。配当は少なかったけど嬉しかったなぁ。ちなみに、その日武豊騎手は5回ぐらい騎乗して全部勝ちました(確か)。その日の感動を「天皇賞も勝って新潟県競馬でも勝ちまくり、騎手の賞金の配分が5%だから1000万近く稼いだはず」とか書いて中学の担任の先生に出したぐらいですから。昔からイヤなガキですね、自分

それとは別にノートをつけたりもしていました。簡単に言うと日曜の午前中に父親が買ってきたスポーツ新聞(ニッカンスポーツ)を見ながら1Rからメインまでを全部予想して仮想の馬券を購入(持ち金1万だったかな)。「スーパー競馬」内の「今日のダイジェスト」見たいなところで答え?合わせ。それで自分の持ち金の変動を計算したりして兄と争ったりしていました。多分に「うまなりくん」の影響を受けていましたね